2009年11月30日月曜日

家族嫌いなわけ

バスに乗った時の話だ。ふとバスに乗ってきたお母さんと子どもさんに目がいってしまった。
なぜなら僕の目の前の席に座ったからだ。

ふと、昔の自分を思い出した。
思えば僕はいろんな人から「家族思いではない」と言われる。
果たしてそうなのか?自分の過去からそのルーツを探ろうと思う。

よく家族から「自己主張しない子」といわれることがある。
確かにそうだろう。
だが、記憶をたどると、その理由も分かってきた。
あれは3歳か4歳のころだった。
ある百貨店に行った時だ。
いつも行くショッピングセンターと違い、レゴブロックのコーナーが充実していたのだ。
その時、どうしても欲しいレゴがあり、それを母親に頼んだのだ。
むろん、母親であるので、断ってきた。
しかし幼い僕はどうしても欲しくて泣きながら頼んだのである。
その熱心さなのか知らないが、母親は購入してくれた。

僕は嬉しかった。
家に帰ると、母親は何もなかったように洗濯物を干していた。
幼い僕は、その光景を見つつ、レゴを組み立てていた。

その時、僕はレゴで遊ぶことで嬉しかった。
と同時に、自分に対する情けなさを感じてしまったのだ、若干3,4歳にして。

何もすることなく欲しいものを買ってもらうことに対する後ろめたさ。

そういったものを感じたのだ。
必死で働いてお金を稼ぎ、そしてそれを子どもに費やす。
そこに僕は何かしらの後ろめたさを感じてしまった。

だからその瞬間、貯金箱からお金を出し、母親に渡そうとした。
むろん母親は受け取らなかったが、その時からだろう、家族に対して罪悪感を感じるようになったのは。
自分の思いをストレートに言うことの後ろめたさ、残酷さ。
そう感じてしまったあの時から、僕は自己主張しなくなったのだ。

そこから、反抗期の「しゃべらない」反抗をする中で、
あたかも「もともと家族思いではない」というレッテルを張られた(いや、自分で貼ったというのが正しい)のだ。

そのネガティブキャンペーンを自身の中だけでなく、
他者にまで及ぼすことで僕は自分を「家族嫌い」と位置づけてしまった。

おそらくいろんな理由があるとは思うが、今日のバスの中ではこう決定付けた。

だが、声を大にして言いたい。
僕は家族が嫌いではない。

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