2012年5月8日火曜日

街路樹の麓

ひっそりと復活しております。

GWも終わりまして、日常に戻りつつある時、ふと学校のそばの街路樹の麓を見ますと、
ひっそりとオレンジ色の花が咲いているじゃありませんか。
誰に関心を持たれるわけでもなく、ただひっそりと咲いている姿を見て、力強さなるものを感じました。

そういえば、ど根性大根というのが一時期ニュースになりましたね。コンクリートという固い壁を打ち破って、大根が生えてきたというもの。でも、大根にしてみれば、ニュースのネタになろうと思ってコンクリートを打ち破っているわけではありませんね。そう、ただただ自分の使命を全うしようと思っていただけです。それを周りがはやし立て、ニュースになっていたということです。

人間社会も同じでしょうね。
ただただ自分の使命を全うしようと思って生きていると、きっと誰かに注目されるもんです。
今は誰からも注目されていなくとも、きっと見ている人がいると思っているのです。
「出会いのもの」じゃないですが、そういう人に出会うと、一気に引き上げてくれて、自分一人では行けなかった世界に連れて行ってくれるのですな。
そういうのを運命というのでしょうか。ですが、運命に身を任せて生きていくのではなく、「自分から」「能動的に」運命を掴んでいるという点で、一般的な運命論からは異なると思います。

自分の力量で、できることを必死にやっていく。
周りから注目されなくとも、必死にやっていると、誰かがきっと目を止めてくれる。

私はそう思うのですよ。


2012年5月2日水曜日

人間の手の数。千手観音との比較で。

なにやら、ずいぶんと閲覧数が増えましたから、ひっそりと復活しましょう。

この一年間は特に言うことはありません。厄年でしたから。

ふと、ネットサーフィンをしていると、見たい動画もなくなって、読むブログも無くなって、
どうしようかなと思う時に、そんな時にふらっと立ち止まって見てくれたらいいですよ。


そういえば、京都にはお寺がいっぱいありますよね。
観音様がいらっしゃったりしますけど、千手観音って、その手で多くの人を救う為らしいですね。
日本史で、そういうことを習いました。

その時ふと思ったんですけど、人間には手が二つありますよね。
じゃ、この二つの手は何を救うためにあるのでしょうかね。

「好きな人」と「子ども(達)」じゃないでしょうかね。

だから、友人関係に悩んでいる人は、こう考えればいいでしょう。
人間なんて、手が二つしかないんだから、多くの人と仲良くしようと思っても、どだい無理な話で。
大切な人と自分の子ども(達)の二人で十分なんだ。

そう思った時、ふと軽くなった気がしませんか?


またふとした時においで下さいませ