久しぶりに書きます。
今日は補講の授業を受けました。
特別活動についての授業で、兵庫県のある高校の話です。
あるミュージシャンの方が高校生のJazzクラブに行って指導したり、一緒にセッションしたり・・・
(まぁそれからそのミュージシャンの紹介などに行くのですが・・・)
そういう経験を経て、生徒たちはJazzの面白さにはまっていくという・・・
某ようこそ先輩という番組でもこういう感じの内容ですが、そういったときにいつも思うのが、
何でこういう人たちは生徒の心をつかむんだろうということです。
おそらく、その場はいつもと違う場ということで、ハレの場なんだろうと思うのです。
祝祭的な場ですか、そういう瞬間的な場なのです。
その授業はその一瞬でしか存在しない。再現することは出来ないのです。
そこに来る人が著名な方だから、荒れているところを見せることは出来ないという強迫観念から生徒や学校側が対応しているのではないかと思いますが、少なくともそういう人たちはやはり”タレント”なんだなと思うわけです。
人を惹きつける何かを持っている、特に自分の得意な分野に関して言えば、その奥深さも面白さも知っているからこそ、人にその部分を伝えることで惹きつけているのでしょう。
というか本来、授業というのはそういうものなのではないでしょうか?
先生はただ教えるのではなく、自分の分野の面白さを最大限伝えることが重要であり、
その場、空間は常にハレの場なのです。
常にハレの場とはおかしな話ですが、そういうものなのです。
だから、もう一回同じ授業をしてくれと言われても、出来ませんと答えるしかない。
そういうもんなのです。
教育者に必要なもの、それは技術だけでなく、熱いオモイなのです。
そこに打算も計算もない。
最近齋藤孝の本を読んでなるほどと思った一節がありました。
「教育者とは太陽たれ」
太陽は見返りを求めてエネルギーを放出しているのではない。
自分はこのことについてむちゃくちゃ教えたい!
すべてじゃなくていいから、そっから何かを得てもらえたらそれで十分!
こういう姿勢が教育者には必要だと言ってました。
こういう教育者になるためにも、自分の「分野」を作らないといけないなぁと思いました。
それは勉強だけじゃなくね。
0 件のコメント:
コメントを投稿