無性にブログを書きたくなる時ないですか?
僕は今ちょうどその時です。
ばたばたしていて、忙しかった日々が過ぎると、ふと立ち止まって考えてしまう。
この人生に意味はあるのかと。
自分は何をするために生まれてきたのかと。
今非常に危うい状況に立っていた気がしてならない。
上に書いてある、哲学的なものを考える余裕すら無くなっていたのだ。
本当は、これらの質問について必至に考えるのが、大学生ではなかったのか?
ところが、日々の忙しさにかまけて、こういったことを考える余裕がなくなり、
目先のことばかりにとらわれてしまう。
もっと大きな目で自分を、世界を見つめることだ。
そして、この大きな世界の中で、自分はどういった存在なのかということを考えるべきだ。
悩んで悩んで悩んだ先に出てきた答えが、きっと自分の哲学になる。
どうやら僕は自分の出した答えに甘んじていたのかもしれない。
自分の中で出てきた哲学は、不変的なものではない。
日々変わっていく。
いつも不安がる必要がある。
これで本当にいいのかと。
自問自答してみてください。
時には立ち止まることも大切だ。
某3年B組の先生はこう言っている。
「歩くという言葉は、少し止まると書く」と。
一生懸命歩いてみよう。
そして考えてみよう。
2009年6月29日月曜日
ぶれる、ぶれない
こないだ広島に帰った。
今年はよく帰っている。
6月の最初に1回。
そしてこないだで2回。
これまでの僕とはえらい違いだ。
人は変わるもんだ。
昨日元気だと思っていたら、明日には病気にかかったり、
昨日はAと言ってたのに、今日になったらBと言う。
つまりそれが、それが成長なのかもしれない。
昔は食べれなかった椎茸が今は食べれるようになっている。
こんなものだ、人間なんて。
どういう気まぐれか知らないが、
時とともにに人は忘れるのだ、物事を。
時間が解決してくれるってのは、「そのことを人は忘れる」からだ。
だからこそ、ぶれない生き方をする人にあこがれを抱く。
いつまでも初心を忘れず、自分の生き方を貫き通す人間に憧れを抱く。
しかし、それだといつまでも成長できない。
ぬるま湯につかりすぎて、風邪をひいてしまう。
僕たちは、成長と安定という狭間の中で生きているのかもしれない。
今年はよく帰っている。
6月の最初に1回。
そしてこないだで2回。
これまでの僕とはえらい違いだ。
人は変わるもんだ。
昨日元気だと思っていたら、明日には病気にかかったり、
昨日はAと言ってたのに、今日になったらBと言う。
つまりそれが、それが成長なのかもしれない。
昔は食べれなかった椎茸が今は食べれるようになっている。
こんなものだ、人間なんて。
どういう気まぐれか知らないが、
時とともにに人は忘れるのだ、物事を。
時間が解決してくれるってのは、「そのことを人は忘れる」からだ。
だからこそ、ぶれない生き方をする人にあこがれを抱く。
いつまでも初心を忘れず、自分の生き方を貫き通す人間に憧れを抱く。
しかし、それだといつまでも成長できない。
ぬるま湯につかりすぎて、風邪をひいてしまう。
僕たちは、成長と安定という狭間の中で生きているのかもしれない。
2009年6月25日木曜日
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